聖心侍女修道会とは
私たちは清貧・貞潔・従順の三誓願と共同生活を通して、生涯を神に奉献するカトリックの修道者です。イエス・キリストの福音的な価値観を携え、人権や環境に関わる社会問題、教育や医療の分野、教会における信仰教育など、それぞれの場で働いています。
創立者の生涯
スペイン、アンダルシア地方―コルドバから、オリーブ畑が続く道を車で1時間、白い家並みが続くペドロ・アバド村にたどり着く。19世紀半ば、この村に生まれた二人の女性が聖心侍女修道会を創立した。
ラファエラ・マリア・ポラス・アイリョン Rafaela María Porras Ayllón
1850年3月1日、ポラス家の末娘として生まれる。4歳で父を、19歳で母を病で亡くす。貧しい人、病気の人々を見舞う活動を始め、25歳のとき修道院に入る。1877年4月14日、聖心侍女修道会の共同体をマドリードで創設。以後、新しい修道会の総長、修練長として修道会の精神的支柱となる。特に貧困層のための教育、また街中にある聖堂で祈りの場を人々に提供し、聖体礼拝を行うことを修道会の精神として据えた。42歳で総長を辞職後、一介の修道女として、会の統治からいっさい手を引いた。1925年1月6日、ローマの修道院で死去。1977年1月23日、教皇パウロ6世よりカトリック教会における聖人と認定された。

ドロレス・ポラス・アイリョン Dolores Porras Ayllón
1846年3月13日、ポラス家の長女として生まれる。ラファエラ・マリアとともに活動し、聖心侍女修道会を共に創立した。主に修道会の財政面と対外的な発展において手腕を発揮し、スペイン各地に女子のための寄宿学校を修道院と共に開設することに力を注いだ。ラファエラ・マリアの辞職後、二代目の総長職を引き受けた。57歳の時に総長を辞してからは、ラファエラ・マリア同様に会の統治から手を引き、祈りのうちに修道会を見守った。1916年7月1日、バリャドリードの修道院で死去。
.jpg)
イグナチオの霊性
ある意味、イグナチオの霊性は私たちの修道生活に「産声」を与えてくれました。
1877年、最初のシスターたちは、司教から提示された他の祈り、生活形態ではなく「聖イグナチオの会則に従いたい」と全員一致で決定しました。
イグナチオの霊性は、イエズス会の創立者ロヨラの聖イグナチオによって記された『霊操』に基づいています。
イグナチオの霊性の特徴
イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)が著した『霊操』に基づき、私たち聖心侍女は「貧しく謙虚なキリストに従うこと」(会憲40)を目指し、「何が神のみ旨であるか、すなわち、何が善であり、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる」(会憲52)よう、霊的識別を学びます。これにより、「いかなる求めにも応じる心構えを持って常に神のみ旨」(会憲53)を求め、奉仕に献身していくよう促されます。聖ラファエラ・マリアがこの上なく寛大に神に応えたように、イグナチオのmagis(さらに)という精神にならい、できる限りの力でイエス・キリストが愛し抱かれたものを抱きたいという望みを絶えず深めます(会憲42)。

日本管区の歩みと現在
1934年、エルネスティナ・ラマリョほか3名の聖心侍女修道会の修道女がローマから初めて日本に派遣された。来日後一年も経たないうちに、旧制高等女学校卒業者を対象にした「清泉寮」が1935年4月、東京麻布三河台にある旧志賀直哉邸に開設された。1944年、東京大空襲で校舎は焼失。シスターたちは長野へ疎開した。戦争が終わると、長野と横須賀で教育活動を再開し、後にはインターナショナルスクール、小学校、中学高等学校、大学を次々に開校した。現在これらの学校は学校法人清泉女学院として受け継がれている。
一方で1980年代から、フィリピンやインド、後にはペルー、ブラジル、また2000年以降は東ティモールへ日本管区からシスターが派遣され、現地での宗教、教育、社会活動に従事した。国内においても、貧困や人権問題に関心をもち、難民・移住者、ホームレスの人々への支援活動を名古屋、長野、東京で行ってきた。現在もこうした支援活動や講演会の催しを行なっている。
社会的な活動を根本的に支えているのは、修道院で日々ささげられている聖体祭儀と聖体礼拝である。また、聖イグナチオの霊操によって養われた霊性を活かして、信徒の霊的同伴や教会・学校内での講話の要請に応じている。
また、ラファエラ・マリアの精神を共に生きたいという信徒のグループ、A C Iファミリーが2000年以降活動を開始し、その指導に従事している。
