ま え が き

この史実の解説を始めるに先立って、何らかの簡単な示唆が必要であると思われます。それは史実の世界に入っていくために、これらの考察は読者にとって一つのよりどころともなり得るからです。反対に私にとっては、それは一種の結論ともなりますが。
一つの歴史を書くにあたり、私は歴史というものについて私が理解し得る限りの最も深い意味で書くように努めてみました。当時の時代的、地方的な枠の中にあって、全生涯をあげて神に応えた聖ラファエラ・マリアの姿を、そのようにして描き出したいと思ったのです。伝記というものは、別に歴史の便覧のようなものになる必要はありません。しかしそこには、その時代の社会と政治の数多のざわめきが、ひそやかに感じ取られなければならないでしょう。論じられた内容の時代的な枠を無視することは、往々にして間違った推定をもたらし、何でもない些細な事柄を過大評価し、或いは、一見つまらないと思われる出来事のうちに潜む深い意味を、見過ごさせてしまいます。
歴史の舞台における情景は大切です。しかし最も大事なのは、何と言っても主人公です。この意味で伝記とは――ひとりの人間の生涯の行程について、さまざまの入り組んだ出来事の中にあってなされた自由な決意や、その人物の偉大さと限界をも合わせて考察したものであり――歴史における一つの特典的な方法であると言えます。聖人の生涯というものは、一般の人のそれと同じように、他の人々との関わりを通して次第に成長し、人間的に成熟します。この理由によって、ラファエラ・マリア・ポラスを取り巻いた男性、及び女性の世界にまで入り込まないなら、女性として、さらには聖人としてのすばらしさを持った彼女を理解することは出来ないでしょう。彼女の生涯は私たちの眼前に、人間関係の複雑さ、少なくとも正しい意向によって、或いは誠実さに欠けた意向をもってなされた種々の異なった判断が、それぞれ異なった姿勢と結びつくという紛糾した状況を繰り広げ、劇的な成り行きを展開します。
私は客観性と批判の目を持って、しかしとりわけ、どのような人間の問題を取り扱う場合にも要求される尊敬の心をもって、聖女に近づくよう努めました。ラファエラ・マリア ポラスの生涯は、事実暗雲に覆われていましたが、私はそれを決して隠そうとは思いませんでしたし、ましてやそれを大げさにしようなどとは思いませんでした。聖女の輝かしい姿を包む陰影、暗黒の部分とは、誤り、或いは倒れさえした人間のことですが、その人達について、いつの場合にもよこしまな意向であったと決め付けるのは正当ではありません。執筆中を通して私は、聖ラファエラ・マリアの際立った沈着さが輝いた、あの緊張関係の状態を、何らかの形で直接に作り出すに至った多くの人々について、その生涯の詳細を知る機会を得ました。そして互いの色合いを出すのに役立つそれほど多くの矛盾した出来事を見て、私は度々自問しました。一体誰が歴史の主人公なのだろうか。ひょっとするとそれは既に自らの生涯に最終曲の和音――フェルマータをも含めて――である死を奏でた人のことではなかろうか。この最終的な決定である死の背景の共鳴の響きがあれば、人間生活に絶え間なく付きまとう雑音や表情や、つぶやかれる独り言、神を讃え或いは嘆きを訴え、喜びを或いは苦しみを、希望を或いは失望を表現する言葉に対して、親切に耳を傾けることがもっと容易くなるでしょう。事実を客観的に、しかしそれにも増して人間的に分析することは、いやおうなしに私たちに人間の全生涯について、思いやりに満ちた統合をするように仕向けます。私はそうするように努めました。この伝記をお読みになる全ての方に、いまだ存命中の、或いは既に他界された方たちに対して、正しく、或いは少なくともそれに近い判断を下し得るのは、私たちが憐れみの心に満ちた理解を持つことによってのみ可能だということを思い出していただこうとするのは、差し出がましいことでしょうか。歴史では、客観的な資料に基づいて物事を判断することが義務付けられています。しかしそれは人間的に評価しうる枠を超えない範囲でのことです。聖女の生涯についての私の考察も、神のみが正しく探りうる魂の奥底の前で私は立ち止まり、それより前に入ろうとはしませんでした。
この書は、何にもまして直筆の資料に基づいて構想が練られました。しかも大半の場合、これらの資料が完全に主役を演じたのです。それらの多くは――もちろん教会の権威を持って――聖ラファエラ・マリアの列福ならびに列聖調査の折に活用されました。当時、さして重要な資料とは思われなかった文書、歴史として残すつもりもないような、おりおりの打ち明け話にすぎない書き物についても、直接手にとって調べてみました。何故なら、問題になる事柄に光を当てうる物事の批判的価値というものは、それを書いた人が自分の考え認めたことが、後になってどのような重要さを持つに至るか、ということを知らないほど、それだけ増し加わるからです。この意味で、聖心侍女修道会の文書の源泉を、他に見つけ出すことは容易なことではありません。
厳密な意味での方法論から見るなら、今日では奇妙に感じられるような事柄であっても、源泉となる資料であるなら、慎重に取り扱わなければならないでしょう。例を挙げてみますと、創立当初の聖心侍女たちは、当時の習慣に従って、修道生活における姉妹たちに大仰な修道名をつけていました。簡単にピラール・マリアナ或いはコンセプションと呼んでいた人達に、何のためらいもなく、「マリア・デル・サルバドール」、「プレシオサ・サングレ」或いは「サントス・マルティレス」と名付けたのです。ラファエラ・ポラスも、マリア・デル・サグラド・コラソンと名を変え、この名によって――むしろ「サグラド・コラソン」とつづめられた名によって――修道会で生涯を送り、自らを聖化しました。少しでも資料になじまれた方であれば、現代的な趣向からすれば奇異に感じられるこの呼び名も、さして耳ざわりなものではなくなります。似たようなことが敬称についても言えるでしょう、二人の創立者姉妹も、ごく自然に当時の修道者たちの習慣に従って、「Usted」という敬称をもって互いに呼び合い、話し合い、肉親同士の打ち解けた手紙の中でさえも、家族的な親密さを少しも損なうことなしに、その呼称を使っていたことが、それらの書簡の中に散見されます。

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  この歴史を書いていた時、更には推敲を重ねていた時、無数の人間について震えおののくほどの共感を覚えました。日々の生活にくだらないことが入り込まぬようにそれらを避け、堅固なものの見方に根拠を置くなら、時の流れも死も、仲間同士の兄弟愛を損なうことは出来ないものであることを、私は確かめることが出来たのです。同じような経験をした人のみが、すなわち、60〜70年前に史実に基づく陳述を後世に残した人のみが、どこまでそれを生々しく実感し得るものであるかを分かることが出来るでしょう。それは「いつの日か聖心侍女たちによって見出され、彼女たちへの教訓となり、諸聖人の中にあって光り輝く神の光栄のために、起こった出来事を書き残そう」(1) と試みた人たちのことですが。
この伝記を作成するための資料を理解し解釈するために払った努力は、私にとってただ単に過ぎ去った過去とのつながりを持たせたばかりでなく、何にもまして彼女が創立し、今日も様々な情況の中で存続する本修道会への結びつきを深めさせました。ラファエラ・マリアが抱き、自らのものとして守り抜いた理想を生き抜いていない限り、それらの資料にひそむ深い意味を持ったメッセージを把握することは困難だと思います。この意味で、現在の仕事に対するあらゆる種類の協力は、聖心侍女の修道家族によって寄せられました。長上方は、保管されていた豊富な文書資料を、一つひとつ全て提供して下さり、これを用いる便宜を計らって下さいました。また、最近聖ラファエラ・マリアの生涯と本修道会の歴史について、楽しい語らいのひと時を持つことの出来た姉妹たちによっても、多くのものを得ることが出来ました。この方たちの並々ならぬ行為と熱意こそが、伝記を書くべきだと私に納得させたのです。
文中を通じて、度々私の判断や評価が、無人称で複数の形で出てきます。本文に目を通して先ず読者が気付かれるであろうと思われるこの叙述形式について、私も検討しました。が、この様式は私にとってごく自然に出てきたものなのです。恐らくそれは、多くの人たちの協力の賜物による信仰の告白、或いは公の証しと呼べるものではないでしょうか。多くの人たち、つまり私より前に、聖ラファエラ・マリアの生涯を研究し、書き著された方々、聖女と生活を共にし、「その伝記を書く人に」覚え書きを残して下さった方たち、現在、あらゆる方法を持って私の執筆の仕事を助けて下さった方たちによるものです。しかしながら、これは、思い切って断言した事柄の責任を逃れるつもりではありません。むしろ反対に、あくまでもその責任は取るつもりでいますし、そればかりでなく、それらのことが、何らかの点で問題になり得ることも承知しています。
ここに二人の聖心侍女について触れないことは、恐らくj不当なことになるでしょう。この方たちの助けなしには、限られた期間の中でこの伝記を書き終えることなどは、思いもよらないことだったからです。ホアキナ・リパルダ、文書係である彼女の慎重で忍耐深い作業のおかげで、原本資料を手にとって研究することが出来ました。また資料の転写や解釈、原稿の校正をはじめとするあらゆる面で献身的に協力して下さったメルセデス・コドルニウによって、この伝記は日の目を見ることが出来たのです。
そして、特にご親切にも序文をお寄せ下さったイエズス会総会長ペドロ・アルペ師にも、心からの感謝を捧げたいと思います。

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  確かに私どもの創立者の英雄的な生涯は、そのメッセージに於いて、聖心侍女修道会の限られた枠を超えています。彼女が経験した難しさは、現代の誰にでも起こり得ることです。日ごとに私たちは、無理解に取り巻かれ、お互いに持っている義務に対する異なった自覚が、私たちに不和をもたらすことを経験しています。ラファエラ・マリア・ポラスは謙虚な単純さをもって、難しい、でも誰の目にも明らかな模範を残しています。人々の心の一致を求め、そのために闘うという努力よりも大切なものはなく、分裂したもの、或いはその危険のあるものを一致させようとして、そのために苦しみを――或いは死さえも――いとわぬ熱意ほど英雄的なものはありません。私たちの誰にとっても、聖女によって繰り返し勧められた幾つかの勧告は、とりわけ彼女自身によって前代未聞の局地にまで生き抜かれたそれは、私たちの心を揺さぶり、迫り来るものを感じさせます。「私は平和のためにいつでも私の生命を投げ出すことが出来ます」と彼女は言っていました。何故なら、「一致の無いところに神はおいでにならないからです。」この宝を保つための厳しいとさえ言える彼女の絶え間ない願いは、私たちを揺るぎない希望と信仰へと促します。ラファエラ・マリア・ポラス――この本におけるマドレ・サグラド・コラソン――が、誠実なる神のみ心から特別の恵みとしてそれを受けたように。

イマクラダ・ヤニェス、A.C.I.

まえがき  注

(1) マリア・デル・カルメン・アランダ、歴史的報告書の序言