序文

「あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」
(エフェソ3,17)

 聖人たちは時折常軌を逸した人のように思われる。
聖徳に達する方法を教えてほしいとしきりに頼んだナダル神父に、聖イグナチオは答えて言った。「ナダルよ、侮辱、労苦、辱め、非難されること、気違いと見なされること、全ての人から軽蔑され、主なるキリストへの愛ゆえに全てにおいて十字架のあることを願望せよ・・・。」(1)
アビラの聖女テレサは叫んで言った。「主よ、死もしくは苦しみを。私自身のためには、それ以外に何もお願い致しません。」(2)
ある打ち明け話のなかで十字架の聖ヨハネは、「主との間で起こった一つの出来事について」 兄弟フランシスコ・デ・イエペスに次のように語っている。それは、聖人が行った一つの奉仕に対して、何でも望むものを与えようと主が申し出られたことについてであった。「私は答えたのです。『主よ、私がいただきたいものは、御身のために苦しむ労苦と、軽蔑され無視されることです。』」 (3)
かの偉大なもう一人、アンティオキアの司教であるイグナチオは、後世にまで語り継がれる有名な手紙をローマの人々に宛てて書いた。それは、社会的地位を得るため、或いは厄介な訴訟を有利に解決するために、今の時代にも適用されるような説得力に満ちたものであった。聖人が名宛の人々に頼んだ唯一のことは、彼が猛獣の餌食になることを妨げるようなつまらない情けを持つようなことだけはしないで欲しい、ということであった。
「大げさなのであろうか?」と教皇パウロ六世は問いかけ、次のように辛らつに答えている。「度々、便利さを求めているに過ぎないのに、賢明だと思い込む私たちのご都合主義に対して、聖人たちは常に一つの挑戦を私たちに突きつけている。彼らの徹底した証しは、私たちの怠りに対する警告であり、忘れ去っていたある価値を再発見するための招きとなる。」(4)
ラファエラ・ポラス・イ・アイリョンの例がそうである。悲しみと労苦を免れなかった27年間の青春時代、修道会の創立者、そして総長としての16年間、「次第に人々から全く忘れ去られ、忘却のかなたに葬り去られた苦悩の32年間。」(5)
このような状況に置かれているにもかかわらず、ラファエラは次のように言っている。「自分の役に立たないことについて、私は日ごとに一層神を讃えています。私のことなど誰一人として思い出さなくなりますように。」 (6) 「私が神のために為しうる最も大きなことはこれである。すなわち、神のみ旨に全てを委ね、どんなにわずかな妨げをも置かないようにすることである。」 (7)


 事実、妨げを置くことは決してなかった。常に完全に神たる芸術家の意のままにその身を置き、自らを 「砕かれ踏みつけられる石」 とみなした。というのは、それらは 「建物を支える土台であり、より深く、より頑丈につき固められるなら、一層しっかりした基礎となる」 (8) からである。
これがマドレ・ラファエラ・マリア・デル・サグラド・コラソンのメッセージである。それは彼女の言葉や書き物によるよりは、彼女自身とその生涯のうちに秘められているメッセージである。
聖なるマドレの生涯とその精神についてとりわけ詳しい筆者は、みごとにこれを描き出している。ペドロ・アバドのひなびたまどいの物語から、晩年のローマにおけるドラマに至るまで、英雄的な主人公が、「ただ神のうちにのみ」 (9) 書き記されることを願っていた歴史の出来事の全てを、私たちは一つひとつ辿っていこう。それにも関わらず、主はその生涯が全ての人に知られるように計らわれ、これによってご自身の侍女の謙遜を称揚された。
内容の全ては、それぞれの時代的背景にふさわしい枠の中に収められ、描き出されている。私たちは当時の種々の出来事の中で行動したラファエラ・マリアを眺め、彼女の言葉に耳を傾け、彼女の目に見える外的な行為の源泉である精神の深みにまで分け入ろう。彼女の活動は当然他の人々のそれと入り組み、一度ならず面倒な状況を生じる原因となったが、本書ではそれらがえもいわれぬ愛と、しかもしかるべき客観性をもって判断され表現されている。
筆者は伝記の中で聖女を描くに当たって、適切にも彼女の中に現れるイグナチオの精神を、わけてもその霊性の核心である霊操への愛と忠実さを際立たせている。この霊操の折にこそラファエラ・マリアは、霊の最高の深みとその状態について、最も美しく優れた手記を記したのであった。彼女の生涯こそは霊操の教えに全く合致したものであって、それはつまるところイエス・キリストとその福音への一致ということである。
霊操に於いて幾度となく繰り返して願い求められる、かの「内的に主を知ること」 (10)は、次第に聖ラファエラ・マリアを キリストの心へと導き、その愛に自身で、或いはこの聖心の実りと――自らそう呼んでいた――彼女の娘たち聖心侍女によって応えたいとの望みを、一層激しく燃え立たせるのであった。
彼女の特徴は、聖体に対する熱意――わけても荘厳に聖体を顕示し――「人々に聖体礼拝をさせる」 ことである。「そこにこそ彼女の霊性は集中され、そこにおいて己が娘たちを育て、そこから使徒職の成果を期待した・・・、だからこそ彼女にとって聖体礼拝という聖なる義務とつながりを持たない使徒職は考えられなかったのである。」 (11)
とどのつまり、ラファエラ・マリア の生涯は、人間の計画することとはおよそ反対の込み入った種々の出来事を通じて、主がどのように生き生きと、あたかも手で触れ得るかのごとくにそのはしためのうちに受肉されていったかというメッセージを、私たちに悟らせるのである。
行動することを高く評価し、人間的手段やあらゆる即効的な事柄に重きを置く時代に、主は使徒職のために献身したにもかかわらず、その生涯の大半を無為とも見える中に過ごした一人の女性の姿を、呆然と驚く人々の前に、教会を通じて示された。しかも、他の多くの聖人がそうであったように人々の目に隠れていた、というばかりでなく、「辱められ、軽蔑され、片隅に追いやられ、嘲笑され、人々の不信に取り囲まれ」、ひどい時には 「ちょっと頭がおかしい」 とさえ思われていた人の姿である。
これは健康で進取の気性に富み、人々の救いのために働きたいとの厚い望みに燃えていた43歳の時のことであった・・・。しかし、彼女は落胆することも、見せ掛けの忍従、或いは深刻ぶることもせずに、かえって「神のためになし得る最も偉大なこと」 (12) という確信を持って、これらを完全に受け入れ、誰に対しても恨みを抱くようなことはなかったのである。
幾千の説教にも勝る雄弁な証し、それが繰り返し私たちに語りかける教訓は――常に難しいことではあるが――使徒職が実り豊かなものとなるには、キリストの犠牲に合わせ、時には英雄的といえる犠牲さえも捧げる必要があるということである。それに、建物を支えるためには、どうしても「土台は必要である。それは見えないものであっても、もしそれが人の目につくようであったら、何とみっともないことであろう!」 (13)
これは1893年、聖女が総長職を辞した直後に行った霊操で決心したことの実現であった。「謙遜の第三段階に達するために、全力を挙げて努力することを約束する・・・。これは主がお望みになるままに私の心を差し上げることであり、私が為しうるもっとも大きな愛の証である。」 (14)
今ラファエラ・マリアは、恐らくj私どもを狼狽させるようなそれらの願望の、最も奥深い根元、すなわち「言葉ではなく、むしろ行ないによって表さなければならない」(15) 愛、ゆらぐことのない本物の愛に触れている。
この決心に関して次のことは、きわめて意味深いものである。イグナチオその人によって一ヶ月の霊操を指導されたペドロ・オルティス師は、覚え書きノートに謙遜を得るための方法の原文を書き写した時、(16) 「次に述べる神の愛への三段階について内省し考察することは、きわめて有益である」 と記して、「謙遜」 を「愛」 に置き換え、しかもそれは章句全体に及んでいる。 (17)
従って、適確に聖女の列聖の根拠を書き記すことが出来た。「彼女はその生涯を愛一筋に焦点を合わせ、その結果、それは当然のことではあるが、行く手を阻む種々の具体的な情況の中にあって愛に生きることを知った。こうして彼女は英雄的と言えるほど謙遜のうちに生涯を生き抜いたのである。」 (18)
教会において「イエスの聖心への償い、愛の応え・・・聖体のいけにえのうちに永続する贖いの秘義におけるキリストとの交わり・・・この交わりはキリストの愛の底知れない富を、人々に宣べ伝えさせずにはおかない」(19) という目的のために建てられた建物の土台を築くためには、それほどの値を払わねばならなかったのである。
最近の諸教皇の指導の下に、人々の心に「愛が実を結ぶよう」私たちは種を蒔き続けよう。確かに私たちの意図するところは、しばしば覆される。しかしそれは私たち自身がまず、十分に愛さないからではなかろうか? 私たちの愛は逆境や矛盾に耐えることができない。その時私たちの弱さは頭を持ち上げる。突風は炎を燃え上がらせ、大火事へと火をかき立てるのである。私たちを面食らわせるもの、それが聖人たちの愛と人格を巨大なまでに成長させ発展させたのである。
ラファエラ・マリアは、何者によっても揺らぐことのない燃える愛、いのちそのものとなった愛をもって愛した。そして最も困難な苦しみの時に、否、それがまさに困難な時であるからこそ、愛に生き、愛を生き抜いたのである。
この本は読者に、美しい輪郭を持った建物の奥深く、土台の深みにまでも分け入らせてくれるだろうと確信している。その時人々は聖心侍女の聖なる創立者が、その名が示すとおり、まさしくラファエラ・マリア・デル・サグラド・コラソンであったことを納得するであろう。

1979年5月4日 ローマにて
ペドロ・アルペ s.j.
イエズス会総会長

序 文  注
(1) コインブラにおける説教、1561年 plát.9 n.15。
(2) 「自叙伝」 c.40 n.20。
(3) Crisógono de Jesús O.C.D. 生涯c.18。
(4) 1976年10月3日、Santa Beatriz de Silvaの列聖式における説教。
(5) 1952年5月18日、列福式において。Pío XII。
(6) 1894年、マドレ・プリシマへの手紙。
(7) 1893年、霊操時の手記。
(8) 1908年7月5日、姉のマドレ・ピラールへの手紙。
(9) 1905年、霊的手記。
(10) ロヨラの聖イグナチオ,「霊操」[104]。
(11) 1977年1月23日、列聖式における説教 、 Pablo VI。
(12) 1893年、霊操時の手記。
(13) 前に引用した、姉マドレ・ピラールへの手紙。
(14) 霊的手記、No. 30。
(15) ロヨラの聖イグナチオ,「霊操」[230]。
(16) 同上、[164-168]。
(17) MHSI、vol.100、635-637ページ参照。
(18) マドレ. ルイサ・ランデチョ「Santa Hoy」 p.103。
(19) 第12回総会、ACI 文書1、1番。