日本管区略年表

1933(昭和8)第6回総会において、東京修道院設立案具体化
1934(昭和9)4月24日総長クリスティナ、シャンボン東京大司教に修道院設立を神聖
8月1日東京大司教、聖心侍女修道会東京修道院の設立を正式に認可
 10月11日第一次4人ローマ出発
 11月9日横浜入港  /メルセス会に寄宿
1935(昭和10)1月31日日本最初の修道院、牛込に移転
2月1日牛込修道院(東京修道院)設立初ミサ
2月12日第二次8人、ローマ出発
3月15日横浜入港
3月22日三河台に移転
3月23日三河台修道院設立初ミサ
4月11日清泉寮開設式
4月12日第三次4人、ローマ出発
5月11日横浜入港
6月21日オリバ・レイナ、ジェルトルデ・フマゾニ離日
8月9日第4次3人、ローマ出発
9月6日神戸入港
10月27日新聖堂落成、献堂式
1936(昭和11)3月6日三河台修道院に修練院開設、長澤トキ入会
3月佐々木信綱に清泉寮効果以来(吉田雪子を通して)
9月清泉寮で出征軍人奉仕会発足
1938(昭和13)5月10日府中墓地購入
5月12日財団法人清泉寮設立認可
5月26日清泉寮学院設立認可 初代校長エルネスティナ・ラマリヨ
6月3日清泉寮学院開校式
9月13日戦前最後の派遣2人、ローマ出発
10月12日横浜入港
1949(昭和15)1月三河台修道院で日曜学校開始
9月6〜9初回、婦人黙想会
1941(昭和16)3月22日東京府知事、清泉寮学院校長に藤本さと採用認可
4月財団法人清泉寮理事長、カルメン・ウスタラを山本信次郎氏に更迭
12月2日聖心侍女2人「龍田丸」で横浜出港
12月14日「龍田丸」引き返しにより2人横浜帰港
1942(昭和17)4月清泉寮生、学校報国隊として「桜ゴム」などに勤労動員される
7月一部清泉寮生、夏期休暇中も「沖電気」へ勤労動員
9月三河台修道院で第三修練院開始
1943(昭和18)4月清泉寮に「三井生命株式会社麻布分室」設置
テニスコートの畑、耕作を開始
4月〜聖堂の鐘、その他鉄製品の強制供出
6月30日三河台修道院第三修練院閉鎖
1944(昭和19)3月31日清泉寮学院平和
4月生徒はそのまま「三井生命株式会社麻布分室」に勤務
5月修道院内で集団作業、勲章の箱作
6月修練長カルメン、疎開地探しに群馬県多野郡鬼石町に赴く
8月疎開地、長野県東筑摩群里山辺村御母家に決定
8月20日疎開先発4人出発
8月21日御母家修道院設立、初ミサ
8月25日第二グループ出発
9月1日第三グループ出発
9月2日御母家修道院最初の昼夜礼拝(ミサ後に聖体の破片祭壇上に残る)
9月5日第四グループ出発
9月23日三河台修道院における最後のミサ
9月24日三河台修道院閉鎖、最終グループ7人出発
11月集団作業としてシュウドウインで陸軍少年飛行学校生徒の肩章つくり開始
1945(昭和20)3月10日三河台修道院全焼
5月3日強制疎開命令の通告
5月26日栗原婦美代 御母家修道院で受洗
6月1日再疎開地野沢へ第一グループ出発
6月2日野沢修道院設立、初ミサ
6月4日第二グループ出発
6月5日第三グループ出発
6月7日御母家修道院閉鎖、最終グループ野沢へ出発
7月29日集団作業真綿のチョッキ作製開始
10月2日コンセプシオン・サガスティサバル帰天
11月21日杉山すぎ受洗
11月24日長野市へ移転発表
11月27日先発グループ長野へ出発
11月29日長野修道院設立、初ミサ
12月3日最終グループ、野沢温泉引き上げ、長野到着
1946(昭和21)1月6日千鳥ケ池修道院の祝別
1月15日個人教授クラス開始
3月7日初台の家、進駐軍接収の通告
3月19日長野において清泉寮学院開校認可
4月11日千鳥ケ池修道院において、清泉寮学院開校式
4月29日初台修道院設立、初ミサ
5月3日戦後最初の入会者4人
聖心侍女修道会日本管区