ラファエラ・マリア

1850年3月1日 誕生 ペドロ・アバド スペイン

1925年1月6日 帰天 ローマ イタリア

1977年1月23日 列聖 聖ペトロ大聖堂 バチカン

世界への贈り物

聖ラファエラマリアは世界への贈り物です。

1850年3月1日にスペインのペドロ・アバドに7人兄弟の末娘としてイルデフォンソとラファエラ・ポラスの間に生まれました。カトリック信仰深い家庭に生まれたことは彼女にとって大きな恵みでした。ラファエラが4才のとき、ペドロ・アバドの村長だった父は猛威を振るっていたペスト患者らの看護をしていて感染し亡くなりました。後年、ラファエラのキリストへの愛はより深まったのです。毎日教会を訪れ、また度々、母と姉と一緒に庵へ赴きました。

1865年3月25日お告げの祝日にラファエラは終生の貞潔を神に誓いました。15才の時でした。

その4年後に突然子どもたちを残して母は天に召されました。特にラファエラ・マリアは心が裂け神に自分の全生涯を捧げる決心をかためました。

1875年ラファエラマリアと姉のドロレスはマリア贖罪会で修道生活をはじめました。そこでの生活は彼女たちに深い影響を及ぼしました。そして彼女たちに神のご計画の準備がなされていたのです。

1877年トレドの枢機卿の認可を得て、ラファエラマリアとドロレスは聖心の贖罪者と呼ばれたあたらしい修道会をはじめました。彼女たちは家庭を回復しみなを神のもとに連れ戻すことを切に望んでいました。特に貧しい家庭とその子どもたちを。彼女たちは全ての人が神の無条件の愛を身をもって知ることを熱望していました。

1886年バチカンから賞賛の回勅を受け、ラファエラを長上として聖心侍女修道会となりました。

ロヨラのイグナチオの霊性にのっとって、共同体はスペイン全土に速やかに広がっていきました。

1893年ラファエラと総長顧問たちの間の誤解により、ラファエラは総長職を辞任しました。マドレ・デル・ピラールとして知られているドロレスは総長になり会に奉仕しました。その間ラファエラは会の中の仕事は何も無くローマで過ごしました。この隠れたラファエラの生活は32年間続き、その間「いつも愛する」との約束を実行しつつ、聖心に心を寄せ絶え間なく祈り聖体礼拝に時間を過ごしました。

彼女は喜び、ユーモアを絶やすこと無く、初期の聖心侍女から慕われていました。

素晴らしい人生

1925年のラファエラは聖年の年明け1月6日ご公言の祝日、修道院の聖堂では聖体降福式が行なわれている間に、自室で静かに神のもとに帰りました。

1952年教皇ピオ12世によって福者に上げられ、

1977年1月23日聖心侍女修道会の創立100周年を祝う年のはじめに教皇パウロ6世によって福音に生きることが要求するすべてを受け容れてキリストに倣い福音に生き、英雄的な模範として列聖されました。

聖ラファエラ・マリアは、聖体の秘義を中心にして、全ての人がキリストについて充分に知り、キリストを深く愛するようになるため働くようにと償いの使命に生きる世界的ネットワークを持つ私たちを駆り立てます。

私たち自身を、心も全てを神に差し出しましょう

聖心侍女は現在、心と体、全存在をかけて5大陸で価値ある働きを続けています。

聖ラファエラ・マリアが神と人々への念いを綴った書簡や霊的手記の一部は日本語に訳されています。

(書簡)(霊的手記)